コンテクスト・シンキング

コンテクスト思考で課題解決!

“つなげる”から“つながる”へ。

最近、少しずつですが、方向転換してきたことが形になってきた気がしています。

 

きっかけは、アダム・グラント著「Give & Take」を読んだことでした。彼は、人の行動の本質的な資質を“ギバー”と“テイカー”と“マッチャー“の3種類に分類しました。

 

この分類で言えば、私はギバーです。

 

中途半端に行う支援とか応援とか紹介とかそういうのは苦手です。なので、本気でやります。それ故に、裏切られることも少なくありません。人は裏切られることを恐れて、与える部分ともらう部分を天秤にかけます。そうやって自分自身を守ろうとします。

 

でも、私には、これが酷く退屈に映りました。なぜなら、何も起きないからです。何か生まれても、それは一過性のものでしかなく、続かないことが多いです。なので、本気でやることにしてきました。

 

すると、今まで、つなげようと意識していたことが、自然とつながるようになってきます。

 

最近、本当に少しずつですが、いろいろな相談を受ける機会が増えてきました。本来であれば、コンサルタントとしてお金を請求するところではありますが、最初は思いつく限りのお話をしちゃってます。とりあえず本気で考えを巡らせます。

 

そうしたら、あることに気づきました。

 

誰かのビジネスについて検討しているうちに、説明の言葉の主語が“僕ら”とか“こちら”という言い方になっているんです。そうなんです、「自分のビジネスだとしたら、どうするだろう」と本気で考えているので、主語が自然とそうなっていたのです。

 

ですが、その瞬間から、自分の知り合いの方々の顔が浮かび、今目の前にあるビジネスにどうやったら活かせるか、どうやったら相手も面白がってくれるか、海を潜るような感覚で思考の道筋が見え、自然と人が“つながる”ストーリーが見えるようになりました。この感覚の先に、また何かありそうな予感がしてちょっと楽しみです。

2016年 ウッドデザイン賞 受賞しました

お客さまの宮島工務店さまが、2016年ウッドデザイン賞を受賞しました。

https://www.wooddesign.jp/pdf/winprizelist-detail.pdf

コミュニケーション分野のソーシャルデザイン部門です。

www.youtube.com

このイベントは、“地元工務店の認知度の低さ”をどのように転換できるか?がテーマでした。宮島工務店のお客様は、皆さん、もの凄く満足されているので、「購入さえしてくれれば...」という思いがありました。

 

そこで、いかにして認知度を上げるか、その場合、ターゲットをどこに絞るか?という点から、小さいお子様のいるご夫婦をターゲットにしました。ただ、夫婦のことをいろいろ考えても、仕事も趣味も性格もバラバラなので、対象として絞ることが困難です。

 

そこで「小さいお子様」を対象とすることにしました。「子供向けのワークショップ、イベントであれば一緒に親も来てくれるだろう」ということで。そして、お子さんたちに家作りのプロセスのミニチュア版を見てもらい、体験する中で、木の香りや温もりに触れてもらい無垢の木を知ってもらいたいという思いもありました。

 

無垢の木は、樹齢が70年とか80年のものが使われます。職人さんの1人が「80年かけて育った木を使うなら、家は100年持たないと森が育たない」と言っていたのが印象的です。木を大切にすること、木で作ったものを大切にすること、森を思いながら刻み作業をしているというお話はとても印象的でした。

 

この1坪の基地は、全て木組みで出来ています。子供が大工になって、木を組み上げていく。その上に乗って立ってもグラつくこともありません。伝統的な木組みの強さと柔軟性を示す小さなモデルを組み立てる子供たちの姿。その姿を親に見てもらうことで、これから家を建てる時に、宮島工務店という名前が選択肢の1つに加わって頂ければ幸いです。

 

このイベントは、組み立てに3時間程度、解体は2時間程度で可能です。参加した子供が「レゴより面白い!」と言っていたのは驚きでした(笑。子供の満足感は、かなり高いようです。保育園、幼稚園でも実施できますし、子供向けのイベントの1つとして、地域で人気が出そうです。

 

www.miyajin.com

 

それでも僕は失敗をススメない。

Facebookで知人のタイムラインにアップされていた記事を読んで、私も「挑戦」と「失敗」について考えてみました。

 

その記事がこちら↓

 

blog.suzukisanchi.com

 

ようやくすると、「勝者と敗者は他者が決めるものであり、挑戦の結果がその2つの成果なら、その果実を手に入れられるのは、挑戦者である強者のみである」ということ。

そうですね、そう思います。

だからこそ、経験的に思うのは、失敗はしないに越したことはなく、失敗もオススメしたりはしません。

結果について先に考えるかどうかが、「チャレンジする人」と「チャレンジしない人」を分けるのだと思います。

確かに、「チャレンジした人」しか、成功(=勝者)は手に入りませんが、「成功を手に入れたい」って思ったり、「勝者になりたい!」からチャレンジするわけではないです。目的を遂行する時に、チャレンジが必要だからするのであり、ここに大きな違いがありますね。この図解の「チャレンジした人」と「チャレンジしなかった人」という言葉選びが、“結果を先に考えている”ことを示しています。

結果を先に考える人の思考では、恐らく、上記の図にはならず、チャレンジとか勝者とか敗者とかではなく、「失敗」という言葉を大切にしているでしょう。

 

つまり、チャレンジすると、成果は、「①成功する」、「②失敗する」の2つになります。一方、チャレンジしないと、「③失敗しない」、「④成功もない」の2つが成果です。そう考えた結果、「③失敗しない」ことを選んで、チャレンジしないという選択をしているんだと思われます。

 

「失敗しない」選択をしている人に、「失敗をオススメ」してもチャレンジするとは思えないんです。それ以上に重要なのは、なぜ、その選択を迫られているか?です。仮に、目的を遂行することを第一に考えた時、チャレンジの先にしか成功がないのであれば、チャレンジするしかないはずなんです。

 

だからこそ、「失敗しないようにチャレンジしよう」と言いたい。

 

コンテクスト・シンキングの手法で対処するならば、選択を迫られたときは、「チャレンジする」と「チャレンジしない」の2択で物事を捉えます。

結果についてはリスク(チャレンジが失敗した時の「時間コスト」「稼働コスト」「その他のコスト」)のみを考えて、それが後々、取り戻せるものなのか、取り戻せないものなのか、を天秤にかけて、チャレンジするか、しないかを選びます。

つまり、チャレンジした結果、成功するか、しないかを、先に考えず、その上で、失敗しないようにチャレンジすることを考えます。

チャレンジする前に、“チャレンジの成果”に気が行く人は、失敗する可能性が高いので、チャレンジしない方が良いですね。

 

コンテクスト・シンキングで大切にしているのは文脈です。よって、選択は、目的へと到達するための道筋の中にあるイベントの1つでしかありません。よって、それ以上にリスクの小さい方法があるならそちらを選べば良いだけの話しです。1つ1つのチャレンジなど、大した問題ではないのです。大局的な視点を持つことでしか、自分が思い描くコンテクストを手に入れることは出来ないのです。

地域とアートの良好な関係とは?

こんな記事を見つけた。

コンテクスト・シンキングで言えば、「鳥の目」での分析というところだろうか。地元桐生で開催されていた桐生再演の実情を垣間みてきた「虫の目」も取り入れて考えてみたい。

zasshi.news.yahoo.co.jp

 
私が暮らす桐生にも以前、「桐生再演」というアートフェスがあった。
ただ、このイベント、実際には、作品を作る過程も非常に面白かった。
 
街の中にアーティストが入ってきて、その場所の文脈に即した作品を作る人もいれば、いつも通りの作品を作る人もいる。面白いのは断然前者である。その場所でないと生まれない作品だからこそ、その場所で見る楽しみがあり、そのアーティストが他の場所で作品を作れば、その作品を見に行く価値が生まれるから。それが地域とアートが結びつく最大の魅力だと今でも思っている。
 
桐生再演では、アーティスト本人が場所探しから行っていた。
自分で見つける場合もあれば、紹介してもらう場合もある。ただし、基本的に交渉はアーティスト本人が行っていたらしい。よって、場所を貸してもらえるかどうかはアーティスト本人の交渉次第ということになる。
 
街の中には必ず、“時間が止まった場所”がある。そして、アーティストが目を付ける場所はだいたいそういうところだ。その場所にアーティストが入っていくことで、家主の地雷を踏むこともあったとのこと。それでもめげずに交渉したり、決裂したり、そうやって、いくつもの場所の空気が入れ替わっていく。家主によっては、その後積極的にアーティストを支援したり、場所を提供したりなんてことも起きていた。
 
関係者の話しでは、モデルはニューヨークのソーホーだったらしい。

治安が悪く家賃が安かった時代、そこにアーティストが暮らすようになった。するとカフェが出来、それ以外のお店も出来、そして、アーティスト以外の人たちが暮らすようになり、止まっていた時間が動き出したという。もちろん、街の時間が動き出すのはそれだけの理由ではないだろう。
 
メセナの文脈でアートフェスを捉えるなら、企業の体力次第ということになる。今は、そこに行政も絡んでくるから「地域おこし」的なところでアートが利用されるようになる。
 
この15年ほど、地域に関わって感じたのは慢性的な疲労感だ。これは取組がツライということではない。理由は、「地域おこし」には終わりがないためだろう。どこまでやれるのか?は個人の状況に委ねられる。私は、改めて、自らゴールを設定して取り組もうと考えている。今は、その準備中。

地方都市のアートフェス、地方都市の音楽フェスも同じで、地域おこしをうたうと終わりがない。その結果、メセナの流れに行政も参加して、流入人口とそれに伴う経済効果等を基準に成功と失敗を判断するようになっていく。すると人を呼べるアーティストが必要になり、必然的に著名なアーティストを招致するようになる。
 
桐生再演のケアをされていた方は、Artist in Residentsの頭文字を取って、AIRプロジェクトと言っていた。”アーティストが滞在し、作品作りを通して、時間の止まっていた場所の空気を入れ替える“、というコンセプトだったが、地方都市でアートフェスが増えたこともあり、今はおやすみ中。

桐生再演では、アーティストが場所と対話し、止まっていた場所の空気を入れ替え、作品作りを通して地域の人たちと交流していた。地域の中でアートが担う役割が非常に明確だった。そうやって再生された場所は、数十箇所はある。その中には、テナントとして復活した場所もある。この数年、桐生市街地への出店が増えているが、そのきっかけは桐生再演だと思っている。
 
桐生再演は、朧げな道筋の先にあったゴールに、着実に到達したのではないか。地方都市のアートフェスが担う“地域おこし”のゴールを、今一度、再考した方が良いのではないか?

アンケート結果は鵜呑みにした方が良い。

よく、アンケート結果について信用しない方が良いとか、そこから派生して、消費者目線にならなくて良いとか、そういう主張を聞いたりする。

 

消費者は自分が欲しいものがわからない、と言った方もいた。確かにそうだ。新しい価値、「こういうものを待っていたんだよ!」みたいなものが売れたりするので、ある意味その見方は正しいのかもしれない。

 

けど、本当にそうなのか?

 

まず、鵜呑みに出来るアンケート以外、そもそも取得する意味があるのかどうか。何か考えるときのとっかかりやヒントを得たいのでアンケートを取っているはずだ。そうなると、アンケートの設計がカギになってくるのではないかと考えた方が良い。

 

この場合、カギとなるのは、アンケート項目と行間の設計だ。例えば、イベントに参加した参加者へアンケートを取る、主催者は、イベントそのものの評価を得たくなるので「このイベントに満足したか?」みたいなフワッとした項目を入れてきやがる。だが、この項目は、主催者が安心することが主目的になっていないだろうか?ストレートな消費者の意見ってわけではない。気に入ったところもあれば、そうでないところもあるはず。なので回答にも悩むし、ここで満足度が高いからと言って、次回に繋がるとは限らない。なので、まるで意味がないのだ。

こんな項目を作るくらいなら、例えばだけど、「今後、同様のイベントを3ヶ月に一度、開催しようと計画しています。次回のイベントの案内について欲しいですか?」と聞いたらどうだろう。

満足していれば欲しいはずだし、満足していなければ欲しくないはず。携帯電話の会社であれば、お知らせMailを届けることが出来るので、すでに連絡先を取得している場合にはこの質問は有効だ。

また、案内が欲しいということは、誰かを連れてきたい、誰かを誘いたい、誰かに教えたい、などの思惑も想像できる。その場合は、お知らせMailにクーポンを入れておいたりして、送ったメールがユーザ間で転送されたかなどのトラフィックを確認したりして使える。

このように項目1つ1つをしっかり検証して、項目の裏側や設問の因果関係をしっかり設計したシンプルなアンケートであれば、相当有効なデータは取れるはずだ。アンケートは手段であり、目的ではない。手段は使い手の能力次第であることを忘れちゃいけない。