コンテクスト・シンキング

コンテクスト思考で課題解決!

スリランカでは有名な話だけど日本人の私は知らなかった。

先日、スリランカ出身で桐生市内で起業されている方にお会いしました。

正直、スリランカと言えば、インドの右下にある小さな国くらいのイメージしかなかったのですが、彼の話を聞いていると、スリランカの方々と一緒に何かしたいと感じました。

 

matome.naver.jp

 

この話、スリランカでは有名で、学校で学ぶそうです。私は教わった覚えがありませんでした。教科書には出ていたのかな?ただ、最近まで、日本国は、スリランカに様々な援助を行っていたようです。お礼だったのでしょうか。

 

以下は、私が聞いた話を基にしたスリランカ像であることを踏まえたお話であることをご了承くださいませ。

 

スリランカ仏教の国。

日本のそれとは違って、出家すると、世俗と切り離された存在として生きていくようです。お寺には、子供からお年寄りまで、お坊さんが沢山いて、働くこともせず、ただただ修行をしているらしいです。よって、お寺の周囲に住む方は、当番制でお坊さん方のお食事のお世話をします。お坊さんも100人とかいるらしいので大変かと思いますが、助け合って欠かさないそうです。

 

また、階級社会の風習がまだ少し残っているようで、持つ者が持たざる者を気遣うことも当たり前だとか。もともと世界の船の40%が通過し,高い関税もあってか、国内は非常に豊かで、大学を出るまでお金はかからないようです。学生までかもしれませんが、病院も無料だとか。南側は非常に豊なようですね。

ですが、北の方にいくと事情が変わってきます。長らく内戦状態にあったため、南と北には、経済的格差があるようで、そういった格差を是正することを目指す企業も多いようです。

 

他にも興味深い話は沢山あったのですが、スリランカの方々はどうもギバーが多いような印象を受けました。「情けは人の為ならず」を体現している国です。助け合い、お互い様、それが当たり前、困っている人が居たら助けるのも当たり前、義理と人情に厚いのも特徴です。

 

先の日本の分割統治の話に戻りますが、日本を救ったというセイロン大統領の演説は、仏教の教えを示すエピソードとしても秀逸だと思います。そして、日本という国だけを見るのではなく、アジア全体の中で日本を捉えている点、言い換えれば、スリランカ(当時はセイロン)自体をアジアの中の一員と捉えている点は、論理的であり、聞く人の感情に届くものがあります。コンテクスト・シンキングの目指すところです。

 

しかし、スリランカの人は皆知っているけど、日本人はほとんど知らないというのはどういうことなのでしょう。国の歴史も片方だけの視点ではわからないということなのかもしれません。

 

スリランカの話は聞けば聞くほど面白いです。いろいろな発見があります。いつかは行ってみたいと思いました。さて、お話を伺った青年ですが、彼らをスタジオにお呼びしてお話を伺いました。

 

番組名 FM桐生(77.7MHz、桐生地域のみ)15時〜放送の「ClubKIRYU」

ゲスト 株式会社GreenCamp、チャナキャ・バンダーラ代表取締役、中山博明取締役

放送日 本放送 11月16日(水)15時〜

    再放送 11月18日(金)15時〜

 

サイマルラジオなどでも聞けます。どうぞ宜しく御願します。

アドバイスを聞く、聞かない、どっち?

仕事の関係上、アドバイスを求められることがある。

一応、本気でアドバイスするのだが、このアドバイスというものの本質はどこにあるのだろうかと考えていた。

 

自分に都合の良いアドバイスだけを取り入れて、自分の立てた予想に自信を付けたいというケースがある。確証バイアスがかかっている状態。これはアドバイスが欲しいのは「自分が安心したい」という理由による。そういう様子が見えた人には、思いっきり不安にさせまくることにしている。

正解にたどり着けない思考方法で自分に都合の良い仮説に安心したいためにコメントを求めてきて、そこでアドバイスして後押ししようものなら、後で何言われるかわからない。それがコワイので不安にさせて煙に巻いてやるのだ。

 

自分が思考を進めるにあたり、わからない点や新しい視点が欲しくて、アドバイスを求めることがある。これは正しいと思う。基本的に、考えるのも、決めるのも自分自身というスタンスが良い。そういう場合には本気でアドバイスをすることにしている。

この場合、僕のせいにされる心配がないから本気になれるのではなく、気概というか、気合いというか、自分に責任がある、というところが基本スタンスにあるってのは素直に気持ちいい。基本的にそういう人は好きだ。

 

こうなると、「アドバイスは聞いた方が良い」とか、「アドバイスは聞く必要はない」というコメント自体が無意味に思えてくる。

 

アドバイスがどうこうより、それを受け取る側のスタンスの方が重要で、そのスタート地点が180°違っていたら、先のコメントの答えも、○にもなるし、×にもなるし、という状態になる。

 

「わからないことは人に聞く」ってことは大切だと思う。スッゲー頑張っている姿をパフォーマンスで見せておいてからの「自分なりに頑張ったんですけど出来ませんでした」とか、まるで意味がない。そんな恥ずかしいコメント、今でもたまに聞くけど、話すのもいやになる。「出来ません」なんて言うくらいなら、最初に「助けて」「教えて」って言った方がよほど良い。

 

なので、「全て自分の責任です」と考えている人に必要なのが「アドバイス」であり、それ以外は、アドバイスなんて求めて、相談なんかせず、「助けて」「教えて」と素直に言った方が良いのではないかと思う。女子はそっちのがカワイイよね、という話でもある気がしてきた。

“つなげる”から“つながる”へ。

最近、少しずつですが、方向転換してきたことが形になってきた気がしています。

 

きっかけは、アダム・グラント著「Give & Take」を読んだことでした。彼は、人の行動の本質的な資質を“ギバー”と“テイカー”と“マッチャー“の3種類に分類しました。

 

この分類で言えば、私はギバーです。

 

中途半端に行う支援とか応援とか紹介とかそういうのは苦手です。なので、本気でやります。それ故に、裏切られることも少なくありません。人は裏切られることを恐れて、与える部分ともらう部分を天秤にかけます。そうやって自分自身を守ろうとします。

 

でも、私には、これが酷く退屈に映りました。なぜなら、何も起きないからです。何か生まれても、それは一過性のものでしかなく、続かないことが多いです。なので、本気でやることにしてきました。

 

すると、今まで、つなげようと意識していたことが、自然とつながるようになってきます。

 

最近、本当に少しずつですが、いろいろな相談を受ける機会が増えてきました。本来であれば、コンサルタントとしてお金を請求するところではありますが、最初は思いつく限りのお話をしちゃってます。とりあえず本気で考えを巡らせます。

 

そうしたら、あることに気づきました。

 

誰かのビジネスについて検討しているうちに、説明の言葉の主語が“僕ら”とか“こちら”という言い方になっているんです。そうなんです、「自分のビジネスだとしたら、どうするだろう」と本気で考えているので、主語が自然とそうなっていたのです。

 

ですが、その瞬間から、自分の知り合いの方々の顔が浮かび、今目の前にあるビジネスにどうやったら活かせるか、どうやったら相手も面白がってくれるか、海を潜るような感覚で思考の道筋が見え、自然と人が“つながる”ストーリーが見えるようになりました。この感覚の先に、また何かありそうな予感がしてちょっと楽しみです。

2016年 ウッドデザイン賞 受賞しました

お客さまの宮島工務店さまが、2016年ウッドデザイン賞を受賞しました。

https://www.wooddesign.jp/pdf/winprizelist-detail.pdf

コミュニケーション分野のソーシャルデザイン部門です。

www.youtube.com

このイベントは、“地元工務店の認知度の低さ”をどのように転換できるか?がテーマでした。宮島工務店のお客様は、皆さん、もの凄く満足されているので、「購入さえしてくれれば...」という思いがありました。

 

そこで、いかにして認知度を上げるか、その場合、ターゲットをどこに絞るか?という点から、小さいお子様のいるご夫婦をターゲットにしました。ただ、夫婦のことをいろいろ考えても、仕事も趣味も性格もバラバラなので、対象として絞ることが困難です。

 

そこで「小さいお子様」を対象とすることにしました。「子供向けのワークショップ、イベントであれば一緒に親も来てくれるだろう」ということで。そして、お子さんたちに家作りのプロセスのミニチュア版を見てもらい、体験する中で、木の香りや温もりに触れてもらい無垢の木を知ってもらいたいという思いもありました。

 

無垢の木は、樹齢が70年とか80年のものが使われます。職人さんの1人が「80年かけて育った木を使うなら、家は100年持たないと森が育たない」と言っていたのが印象的です。木を大切にすること、木で作ったものを大切にすること、森を思いながら刻み作業をしているというお話はとても印象的でした。

 

この1坪の基地は、全て木組みで出来ています。子供が大工になって、木を組み上げていく。その上に乗って立ってもグラつくこともありません。伝統的な木組みの強さと柔軟性を示す小さなモデルを組み立てる子供たちの姿。その姿を親に見てもらうことで、これから家を建てる時に、宮島工務店という名前が選択肢の1つに加わって頂ければ幸いです。

 

このイベントは、組み立てに3時間程度、解体は2時間程度で可能です。参加した子供が「レゴより面白い!」と言っていたのは驚きでした(笑。子供の満足感は、かなり高いようです。保育園、幼稚園でも実施できますし、子供向けのイベントの1つとして、地域で人気が出そうです。

 

www.miyajin.com

 

それでも僕は失敗をススメない。

Facebookで知人のタイムラインにアップされていた記事を読んで、私も「挑戦」と「失敗」について考えてみました。

 

その記事がこちら↓

 

blog.suzukisanchi.com

 

ようやくすると、「勝者と敗者は他者が決めるものであり、挑戦の結果がその2つの成果なら、その果実を手に入れられるのは、挑戦者である強者のみである」ということ。

そうですね、そう思います。

だからこそ、経験的に思うのは、失敗はしないに越したことはなく、失敗もオススメしたりはしません。

結果について先に考えるかどうかが、「チャレンジする人」と「チャレンジしない人」を分けるのだと思います。

確かに、「チャレンジした人」しか、成功(=勝者)は手に入りませんが、「成功を手に入れたい」って思ったり、「勝者になりたい!」からチャレンジするわけではないです。目的を遂行する時に、チャレンジが必要だからするのであり、ここに大きな違いがありますね。この図解の「チャレンジした人」と「チャレンジしなかった人」という言葉選びが、“結果を先に考えている”ことを示しています。

結果を先に考える人の思考では、恐らく、上記の図にはならず、チャレンジとか勝者とか敗者とかではなく、「失敗」という言葉を大切にしているでしょう。

 

つまり、チャレンジすると、成果は、「①成功する」、「②失敗する」の2つになります。一方、チャレンジしないと、「③失敗しない」、「④成功もない」の2つが成果です。そう考えた結果、「③失敗しない」ことを選んで、チャレンジしないという選択をしているんだと思われます。

 

「失敗しない」選択をしている人に、「失敗をオススメ」してもチャレンジするとは思えないんです。それ以上に重要なのは、なぜ、その選択を迫られているか?です。仮に、目的を遂行することを第一に考えた時、チャレンジの先にしか成功がないのであれば、チャレンジするしかないはずなんです。

 

だからこそ、「失敗しないようにチャレンジしよう」と言いたい。

 

コンテクスト・シンキングの手法で対処するならば、選択を迫られたときは、「チャレンジする」と「チャレンジしない」の2択で物事を捉えます。

結果についてはリスク(チャレンジが失敗した時の「時間コスト」「稼働コスト」「その他のコスト」)のみを考えて、それが後々、取り戻せるものなのか、取り戻せないものなのか、を天秤にかけて、チャレンジするか、しないかを選びます。

つまり、チャレンジした結果、成功するか、しないかを、先に考えず、その上で、失敗しないようにチャレンジすることを考えます。

チャレンジする前に、“チャレンジの成果”に気が行く人は、失敗する可能性が高いので、チャレンジしない方が良いですね。

 

コンテクスト・シンキングで大切にしているのは文脈です。よって、選択は、目的へと到達するための道筋の中にあるイベントの1つでしかありません。よって、それ以上にリスクの小さい方法があるならそちらを選べば良いだけの話しです。1つ1つのチャレンジなど、大した問題ではないのです。大局的な視点を持つことでしか、自分が思い描くコンテクストを手に入れることは出来ないのです。