モノゴトは“シンプル”に考えてはいけない。
僕自身、普段からいろいろと考えるあまり、どうでもいいことを深堀して考える傾向はあるにせよ、賢人たちが言う“シンプルに考える”という言葉には、どうにも違和感を覚えてしかないのです。
僕の言い方では、“モノゴトは抽象的に捉えた方が良い”となります。
出来る人は出来るし、出来ない人は出来ないのが世の常ですが、出来る人と出来ない人の違いはプロセスにあると捉えています。よって、異なるプロセスを持つ人たちに同時に正しく伝えるのは、「シンプルに考えた方が良い」というのは不正解だと考えているのです。シンプルに考えるのは、目標であり、目的になってはいけないのですが、これは出来る人が一方的に言っているだけの表現に感じます。
コンテクスト・シンキングでは、どんなビジネスでもどんな活動でも、ちゃんとゴールを決めておけば、そこに到達出来ると仮定しています。なので、出来る/出来ないなどの結果的な「違い」は、「自分自身」以外の存在である「相手」、「自分自身」と「相手」を取り巻く「環境」の相互関係によって生まれると考えています。
しっかりした準備と可能な限りのリスクヘッジをしておけば、リソースの大小に関係なく、想定している結果に到達出来ると考えると、それを阻むのは、相手との間に存在する「時間」「財源」「感情」などの相手側の都合と、さらに自分自身の存在とそれらを取り巻く外側にある「天候」「災害」「状況の変化」などの「環境」です。コンテクスト・シンキングでは、これら3つの項目が、重なり合って1つのストーリーを作ることを目指しているので、思い通りにコトを運ばない場合は、「相手」と「環境」が影響しているからということになります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ちょっと脱線します。
コンテクスト・リサーチのステップは、「自分自身」と「相手の都合」を徹底的に丸裸にして、自分の都合と相手の都合を捩ってひとつにする作業です。そうなると、「自分自身」+「相手」=「私たち」となるので、3つあった要素が2つに変わるので、変化や状況を捉えやすくなります。
こういうのはやったことないですが、やってみますか。
コンテクスト・シンキングで、自分(個人、会社、なんでもOK。自分の属性に紐づく)と相手(個人や会社のようにパートナーを指すこともあれば、消費者のようにターゲットを指すこともある。“一緒にハッピーになりたい相手”と仮定しておく)の都合を捩り合わせることで、「私たち」という存在を作り、主語に変化させます。これを数式にすると、
a=自分自身 b=相手 n=環境 z=結果 とした場合、
z=a+b+n
と捉えています。そこで、
a+b=c(私たち)とすることが出来れば、
z=c+nとなりますので、
n=z-cと置き換えることが可能です。
よって、目指したい結果「z」を得るには、私たち「c」が考えられる準備を全て行い、その上で、環境「n」を注意深く見て、変化に注意を払えば良い、ということが言えます。これが、コンテクスト・シンキングの基本的な考え方です。
なので、n=1の時はコレ、n=2の時はコレ、としておくことがリスクヘッジになるというわけです。変数を仮定しておけば、対応も予想ができます。それも含めて、私たち「c」が想定して、準備をしておくということです。
また、「a」+「b」の「+」は“価値のやり取り”とか“価値の掛け合わせ=アイデア”というプロセスなのですが、長くなるので、この話はいずれまた詳しくしたいと思います。
このあたりで話を戻します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コンテクスト・シンキングでは、「自分自身」と「相手」を一つにして、「私たち」にすることで、「環境」の変化にのみ注意を払えばいいと考えています。なので、「環境」の変化を捉えるにはどうしたら良いのか?ということだけがポイントになります。そのためには、ディティールに目を奪われると難しいので、大所高所からモノゴトを捉える必要があります。ここで言う「大所高所からモノゴトを捉えていくこと」こそ、「抽象的に捉える」という意味です。
実は、シンプルという言葉が先に立った状態の場合、プロセスの違いによって、「自分」と「相手」と「環境」の三要素の中から、「相手」を無視し、「自分」と「環境」だけで考える人が生まれてしまいます。
先の数式っぽいのを使えば、
a=自分自身 b=相手 n=環境 z=結果 とした場合、
z=a+b+n
を
z=a+n
にして考えてしまい、何かしらの結果「z」を導きます。
その結果、
bの都合が後から加わるので、
z-a=n+b
となります。
このように数式はシンプルにはなっておりません。しかも、最初は、同じ結果「z」を求める同士だったaとbが、時間経過ののち、aから見たら、bは、nと同じく“向こう側“に存在するようになってしまいます。
それにより、結果「z」を得られないことを相手「b」のせいだと言い出すのです。「b」がチームメイトであれば「仲違い」です。「b」が取引先であれば「破談」です。「b」が消費者であれば、「売れ残り」です。つまり、「シンプルに考える」みたいな表現だと、捉える側のプロセスの違いによって、残念な結果が生まれるのです。
多くの人は、考え抜くことをしません。なぜなら、多くの人が、「正しい選択」は誰でも出来るということを信じていないからです。「正しい選択」の存在を信じなくては、今の選択を疑って考え抜くというところには到達しません。コンテスト・シンキングは、世の中に「正しい選択は存在するし、ちゃんと考えれば誰でもできる」と仮定したことによって生まれた思考方法なので、“今考えている先”を考えることが出来るのです。
さきに、「出来る人が一方的に言った」と表現しましたが、同様に「選択出来ない人の存在」を仮定したから、その先を考えられて、例えば、「仲違いってそうやって起きるのかぁ」みたいな新たな気づきを得られるのです。
2回目の脱線でした。
さて、モノゴトを大所高所で捉えることが出来ると、相手の都合だけでなく、自分の都合にも捉われなくなります。よって、環境「n」を中心に据えてモノゴトが見えるようになるのです。実は、それが出来れば、自分が何をすべきか、相手が何をすべきかが見えて来るので、悩まなくなり、シンプルに行動することが出来るのです。なので、「シンプルに行動すれば良い」とだけ言っている人の言葉は、信じない方が良いです(笑。
シンプルは選んで行うのではなく、自然とそうなるからシンプルなのです。結果、シンプルになる、ので、シンプルを目的とした時点で、間違った選択と言えます。
結果として現れるシンプルそのものを目的にしてはいけません。“モノゴトを抽象的に捉える”ことが出来れば、”結果的に”思考はシンプルになります。シンプルに考えることは、目的ではなく、目標とすべきなのです。
スリランカでは有名な話だけど日本人の私は知らなかった。
先日、スリランカ出身で桐生市内で起業されている方にお会いしました。
正直、スリランカと言えば、インドの右下にある小さな国くらいのイメージしかなかったのですが、彼の話を聞いていると、スリランカの方々と一緒に何かしたいと感じました。
この話、スリランカでは有名で、学校で学ぶそうです。私は教わった覚えがありませんでした。教科書には出ていたのかな?ただ、最近まで、日本国は、スリランカに様々な援助を行っていたようです。お礼だったのでしょうか。
以下は、私が聞いた話を基にしたスリランカ像であることを踏まえたお話であることをご了承くださいませ。
日本のそれとは違って、出家すると、世俗と切り離された存在として生きていくようです。お寺には、子供からお年寄りまで、お坊さんが沢山いて、働くこともせず、ただただ修行をしているらしいです。よって、お寺の周囲に住む方は、当番制でお坊さん方のお食事のお世話をします。お坊さんも100人とかいるらしいので大変かと思いますが、助け合って欠かさないそうです。
また、階級社会の風習がまだ少し残っているようで、持つ者が持たざる者を気遣うことも当たり前だとか。もともと世界の船の40%が通過し,高い関税もあってか、国内は非常に豊かで、大学を出るまでお金はかからないようです。学生までかもしれませんが、病院も無料だとか。南側は非常に豊なようですね。
ですが、北の方にいくと事情が変わってきます。長らく内戦状態にあったため、南と北には、経済的格差があるようで、そういった格差を是正することを目指す企業も多いようです。
他にも興味深い話は沢山あったのですが、スリランカの方々はどうもギバーが多いような印象を受けました。「情けは人の為ならず」を体現している国です。助け合い、お互い様、それが当たり前、困っている人が居たら助けるのも当たり前、義理と人情に厚いのも特徴です。
先の日本の分割統治の話に戻りますが、日本を救ったというセイロン大統領の演説は、仏教の教えを示すエピソードとしても秀逸だと思います。そして、日本という国だけを見るのではなく、アジア全体の中で日本を捉えている点、言い換えれば、スリランカ(当時はセイロン)自体をアジアの中の一員と捉えている点は、論理的であり、聞く人の感情に届くものがあります。コンテクスト・シンキングの目指すところです。
しかし、スリランカの人は皆知っているけど、日本人はほとんど知らないというのはどういうことなのでしょう。国の歴史も片方だけの視点ではわからないということなのかもしれません。
スリランカの話は聞けば聞くほど面白いです。いろいろな発見があります。いつかは行ってみたいと思いました。さて、お話を伺った青年ですが、彼らをスタジオにお呼びしてお話を伺いました。
番組名 FM桐生(77.7MHz、桐生地域のみ)15時〜放送の「ClubKIRYU」
ゲスト 株式会社GreenCamp、チャナキャ・バンダーラ代表取締役、中山博明取締役
放送日 本放送 11月16日(水)15時〜
再放送 11月18日(金)15時〜
サイマルラジオなどでも聞けます。どうぞ宜しく御願します。
アドバイスを聞く、聞かない、どっち?
仕事の関係上、アドバイスを求められることがある。
一応、本気でアドバイスするのだが、このアドバイスというものの本質はどこにあるのだろうかと考えていた。
自分に都合の良いアドバイスだけを取り入れて、自分の立てた予想に自信を付けたいというケースがある。確証バイアスがかかっている状態。これはアドバイスが欲しいのは「自分が安心したい」という理由による。そういう様子が見えた人には、思いっきり不安にさせまくることにしている。
正解にたどり着けない思考方法で自分に都合の良い仮説に安心したいためにコメントを求めてきて、そこでアドバイスして後押ししようものなら、後で何言われるかわからない。それがコワイので不安にさせて煙に巻いてやるのだ。
自分が思考を進めるにあたり、わからない点や新しい視点が欲しくて、アドバイスを求めることがある。これは正しいと思う。基本的に、考えるのも、決めるのも自分自身というスタンスが良い。そういう場合には本気でアドバイスをすることにしている。
この場合、僕のせいにされる心配がないから本気になれるのではなく、気概というか、気合いというか、自分に責任がある、というところが基本スタンスにあるってのは素直に気持ちいい。基本的にそういう人は好きだ。
こうなると、「アドバイスは聞いた方が良い」とか、「アドバイスは聞く必要はない」というコメント自体が無意味に思えてくる。
アドバイスがどうこうより、それを受け取る側のスタンスの方が重要で、そのスタート地点が180°違っていたら、先のコメントの答えも、○にもなるし、×にもなるし、という状態になる。
「わからないことは人に聞く」ってことは大切だと思う。スッゲー頑張っている姿をパフォーマンスで見せておいてからの「自分なりに頑張ったんですけど出来ませんでした」とか、まるで意味がない。そんな恥ずかしいコメント、今でもたまに聞くけど、話すのもいやになる。「出来ません」なんて言うくらいなら、最初に「助けて」「教えて」って言った方がよほど良い。
なので、「全て自分の責任です」と考えている人に必要なのが「アドバイス」であり、それ以外は、アドバイスなんて求めて、相談なんかせず、「助けて」「教えて」と素直に言った方が良いのではないかと思う。女子はそっちのがカワイイよね、という話でもある気がしてきた。
“つなげる”から“つながる”へ。
最近、少しずつですが、方向転換してきたことが形になってきた気がしています。
きっかけは、アダム・グラント著「Give & Take」を読んだことでした。彼は、人の行動の本質的な資質を“ギバー”と“テイカー”と“マッチャー“の3種類に分類しました。
この分類で言えば、私はギバーです。
中途半端に行う支援とか応援とか紹介とかそういうのは苦手です。なので、本気でやります。それ故に、裏切られることも少なくありません。人は裏切られることを恐れて、与える部分ともらう部分を天秤にかけます。そうやって自分自身を守ろうとします。
でも、私には、これが酷く退屈に映りました。なぜなら、何も起きないからです。何か生まれても、それは一過性のものでしかなく、続かないことが多いです。なので、本気でやることにしてきました。
すると、今まで、つなげようと意識していたことが、自然とつながるようになってきます。
最近、本当に少しずつですが、いろいろな相談を受ける機会が増えてきました。本来であれば、コンサルタントとしてお金を請求するところではありますが、最初は思いつく限りのお話をしちゃってます。とりあえず本気で考えを巡らせます。
そうしたら、あることに気づきました。
誰かのビジネスについて検討しているうちに、説明の言葉の主語が“僕ら”とか“こちら”という言い方になっているんです。そうなんです、「自分のビジネスだとしたら、どうするだろう」と本気で考えているので、主語が自然とそうなっていたのです。
ですが、その瞬間から、自分の知り合いの方々の顔が浮かび、今目の前にあるビジネスにどうやったら活かせるか、どうやったら相手も面白がってくれるか、海を潜るような感覚で思考の道筋が見え、自然と人が“つながる”ストーリーが見えるようになりました。この感覚の先に、また何かありそうな予感がしてちょっと楽しみです。
2016年 ウッドデザイン賞 受賞しました
お客さまの宮島工務店さまが、2016年ウッドデザイン賞を受賞しました。
コミュニケーション分野のソーシャルデザイン部門です。
このイベントは、“地元工務店の認知度の低さ”をどのように転換できるか?がテーマでした。宮島工務店のお客様は、皆さん、もの凄く満足されているので、「購入さえしてくれれば...」という思いがありました。
そこで、いかにして認知度を上げるか、その場合、ターゲットをどこに絞るか?という点から、小さいお子様のいるご夫婦をターゲットにしました。ただ、夫婦のことをいろいろ考えても、仕事も趣味も性格もバラバラなので、対象として絞ることが困難です。
そこで「小さいお子様」を対象とすることにしました。「子供向けのワークショップ、イベントであれば一緒に親も来てくれるだろう」ということで。そして、お子さんたちに家作りのプロセスのミニチュア版を見てもらい、体験する中で、木の香りや温もりに触れてもらい無垢の木を知ってもらいたいという思いもありました。
無垢の木は、樹齢が70年とか80年のものが使われます。職人さんの1人が「80年かけて育った木を使うなら、家は100年持たないと森が育たない」と言っていたのが印象的です。木を大切にすること、木で作ったものを大切にすること、森を思いながら刻み作業をしているというお話はとても印象的でした。
この1坪の基地は、全て木組みで出来ています。子供が大工になって、木を組み上げていく。その上に乗って立ってもグラつくこともありません。伝統的な木組みの強さと柔軟性を示す小さなモデルを組み立てる子供たちの姿。その姿を親に見てもらうことで、これから家を建てる時に、宮島工務店という名前が選択肢の1つに加わって頂ければ幸いです。
このイベントは、組み立てに3時間程度、解体は2時間程度で可能です。参加した子供が「レゴより面白い!」と言っていたのは驚きでした(笑。子供の満足感は、かなり高いようです。保育園、幼稚園でも実施できますし、子供向けのイベントの1つとして、地域で人気が出そうです。